私が、まだ医師になって2年目のひよこにもなっていない頃の話です。東京のS病院で、まだ外科医として修行中の時(今でも修行中の身であると思っていますが)、手術後の患者さんたちから“戦友”という言葉を聞かされました。
もちろん私は戦争経験のない世代ですが、その患者さんたちは戦争に行った経験もある患者さんたちで、手術を経験し、自分と病気と闘い、同じ時期に隣のベッドで苦労を共にした患者さんたちを“戦友と”呼び合い、共に励ましあっていました。
“戦友”は、もともと戦時に使われる言葉ですが、生きるか死ぬかを共に経験する患者さんたちにとっては、病院もある意味“戦場”であるのだなと、つくづく納得させられました。”共に病気と闘う“という意味では、患者さんと医師も”戦友“であり、患者さん同士もまた”戦友“、患者さんと医療スタッフもまた”戦友“であるべきだと考えさせられました。
今年度の外科学会の会長講演で、会長の大阪大学外科の門田守人教授は、「今時、患者さまと医師は、なにかと対峙してマスコミで取り上げられているが、医療をより良くするには、現場の患者さまと医師が一致協力して社会に向わなければならない」旨の講演をなさいました。時を得た素晴らしい会長講演に感激し、この難しい時代には“戦友”は、共に社会に向かわなければ、日本の医療の明日はないのだと痛感しました。
私の出先の病院の患者さまで、“いちご名人”と呼ばれる患者さまがいらっしゃいました。いちご名人は、外来に来ると“先生、おなか診てチョ”と、とてもやさしい目をして尾張弁で言われます。80歳を過ぎて大腸の手術を受けられたかたですが、尾張弁のそのやさしい語尾が、年齢を名人の域まで重ねた人柄と合わせてとても印象的で、お会いするのがいつも楽しみでした。いちご名人は、手術前も手術後も、また外来にいらっしゃる時も、そのつぶらな優しい瞳で、じっと私を見つめて、“先生、―――してちょ”と声をかけられる敬愛すべき”戦友“でした。
老衰で亡くなられたのですが、外来の最中に、今でもどこからか”先生、―――してちょ“とやさしい声が聞こえそうな気がします。
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